私の囲碁の悪かった点

私のTwitterなどご覧になっている方はご存知でしょうが、最近囲碁の調子もかなり良いですね。良くなった理由は恐らく二つあって、統合失調症の病状が快復してきたことと、ネットで活動している囲碁インストラクターの方の棋譜添削を受けていることです。

これまで私は、「読みが弱い」と言われることが多かったのですが、その方にネット碁棋譜を見ていただいてまず言われたのは、「荒木さんは読めていないのではなく、形を決めてしまう傾向があって攻め方が重すぎるから、カウンターを食らって負けている。まず攻めを保留して他に回ることを覚えなさい。」ということでした。その後にも、「囲碁における戦いは、実は戦いそのものの技術よりも準備工作の方が大事。」「荒木さんは序盤で悪くしていることが実は結構ある。」「荒木さんは打ちたい場所に打つことを考えているけど、相手が絶好点に打つのを阻止することも考えなければいけない。」などの指導を受けて、明らかに碁の質、碁盤の見え方が変わってきました。まあネットに居る猛者の方々から見れば微々たる向上かもしれませんが、前職囲碁部の活動に久しぶりに参加して打った時も「あ、私少し強くなれたんだな」と感じた場面が何度かありました。そして何より、これらの指摘を受けてから囲碁を打つのが凄く楽しいのです。まああくまでアマチュアなので、のめり込み過ぎは良くないのでしょうけどね。

発達障害の薬を服用してきて変わったこと

私は統合失調症の症状は今はほとんど無くなっています。加えて、発達障害の薬を飲むようになってから色々変わってきたことがあります。私はまずストラテラを処方され、加えて最近はインチュニブも処方されていますが、それらを服用するようになって以下のようなことが変わってきました。

まず、以前より手先が器用になったみたいです。私は箸やペンの扱いが下手だったのですが、それがだいぶマシになりました。

また、道を歩いているときに、他の歩行者や車を避けるのが上手になったみたいです。

さらに、電車内で立っている時に、バランスを崩して倒れそうになることもかなり減りました。

そして、世界の見え方が変わりました。ある時、「あれ、世界がいつもより立体的に見える」ということに気づいて、少し驚きました。

最後に、音楽の聞こえ方も変わりました。普段聞いている音楽が、より細かいところまで分かるようになったのです。私自身はひどい音痴で、ある後輩に「荒木さんの場合先天的な問題があるのではないか?」とまで言われるほどでした。それが、少し前に一人カラオケに行って歌っている時に、「自分の歌声の音のズレが分かる!分かるぞ!そうか、健常者にはこう聞こえていたのか!」という体験をしました(笑)。

まあ、健常者と同じレベルまではまだ届いていないのかもしれませんが、子供の頃から周りと同じことが出来なくて怒られ続けてきたのは発達障害のせいで、現代医療だとそれすらも薬で抑えられると分かったのは、大きな発見ですね。

便利なアイテムを使いこなすこと

前回の記事にiPadのことを少し書きましたが、実は少し前にiPad第六世代を買いました。博士課程で使っていたiPadmini4よりだいぶ快適に電子書籍や論文が読めるようになりました。以前の私は、そこそこお金を持っていたにもかかわらず、「出費は抑えなければならない」という強迫観念があって、こういう「自分への投資」が下手でした。でも、適度にお金を使って「投資」することは実は大事だったのだと、最近になってようやく気づきました。iPadはちょっと高いですが、文房具などでも少しお金を出して導入した結果すごく快適になったものもあります。

以前の私は、「私は何でこんなに能力が低いのか」と頻繁に落ち込んでいました。実際に発達障害の診断を受けたので、ある面で「才能が無い」のも事実だったのでしょう。しかしそれ以上に、やり方がまずかったのだろうなと今では思います。凄い人たちは、自分の生活や行動を若いころからどんどん改善しながら生きてきたから、凄いパフォーマンスを出せているんだと分かりました。そのことに気づいてから、私も毎日の生活と行動を改善し続けています。金銭的出費は少し多いですが、最近は毎日自分を改善していくのが楽しいですね。

生活の質を改善していくこと

以前このブログの記事で、良い生活習慣を取り入れていった旨を書きましたが、それ以外にも色々発見がありました。それについて少し書いておきます。

最初に断っておきますが、統合失調症になったらまずは薬で症状を抑えるのが最優先です。それが出来た後に私がどのように生活の質を改善できたかということを以下に書きます。

良い医者の先生に巡り合えてスッキリした毎日を送れるようになってから、私はまず「本を読みたい」と思いました。それから、色々な本屋、古本屋をぶらぶらして、かなり技術書や棋書や小説、自己啓発書などを買ってカフェで読んでました。そういうことをしている内に気づいたのが、私のそれまでの読書方法が間違っていたということでした。

以前の私は、本は頭から最後まで、あとがきなども含めて全ての文を目で追わなければならないと考えていました。でも、そういう読み方は小説などでは良いかもしれませんが、少なくとも技術書や棋書に関してはあまりいい読み方ではなかったようだと気づいたのです。「遅読家のための読書術」「エンジニアの知的生産術」などを読んで私が出した結論は、「全ての文に目を通して疲労でふらふらになって、その後復習できないまま過ごすよりも、目次を見て必要な所をパラパラ見ることを何度も繰り返した方が、知識が定着する。また、専門書に関しては目で追うだけでなくメモを取りながら読んだ方が読書が『楽に』なるし、輪読の発表資料も作りやすくなる。」ということでした。さらに、「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」という本を読んで確信したのですが、全部に目を通す場合でも、「一回じっくり読む」よりは「高速で何回も読む」方が知識が定着するらしいということもわかってきました。

また、一応東大卒の人間がこんな年齢になってこんなことを言うと笑われるかもしれませんが、勉強というのは「暗記」しないと意味が無いということにも気づきました。私は昔から暗記が苦手で、数学などは最低限の知識だけで解いていましたが、たとえ受験であっても、本当はひたすら暗記するが一番効率が良かったのかもしれません。「受験数学は暗記か、暗記でないか」という議論は時々見かけますが、「問題の解法とその背景も全て理解し、理解の過程も含めて暗記する」のが一番効率が良かったのかもなと私は気づいたのです。

また、以前からiPadを使っていたのですが、iPadのアプリなどで論文に色をつけながら読むようにしてみたところ、忘れた頃にその論文を読み直すのが楽になりました。修士の頃居た研究室の優秀な人で、紙の論文に蛍光ペンで色を塗りながら論文読んでいた人がいたのですが、実は理にかなったやり方だったのかもしれません。

また「超高速暗記術」という本にあった「まずは覚えないといけない量を減らす」という考え方も私にとってはショッキングでした。以前の私は単語帳などは「全部覚えないといけない」と思い込んでいたからです。

他に、業務関係では、プログラムの単体テストを自動化すると良いことも学びました。また、emacsではない最近のエディタも使うようになりました。

実は、以前の私は上記の勉強法や業務の単体テストについて、「こういうのはやるべきことなんだろうけど、今の私にはその余力が無い。周りの人は優秀だからそういうことする余裕があるだけ。」と思っていました。でも違ったんです。勉強法や単体テストの自動化は『楽をする』ための方法論だったのです。「勉強法を取り入れ」たり、「単体テストを自動化し」たり、「最新のエディタを活用し」たりしているからこそ、「業務が楽になり、凄いパフォーマンスを出せる」のだと気づいたのです。凄い人たちは、こうやって自分のパフォーマンスの改善を続けた上で努力しているようだと気づいたのです。単にむやみに時間をかけたり根性で何とかしようとするのは努力とは呼べないのです。ツイッターで見ましたが、ある「一流」と呼んで差し支えないと思われる人が、「努力は根性でするものではない」と言っていた意味がようやく理解できました。必要なのは「方法論」と「それを習慣づけること」だったのです。

他にも書きたいことはあるのですが、今回は一旦ここまでにしておきます。

囲碁ソフトの、マシンリソース(思考時間)を増やした時の棋力の変化について

AlphaGoの論文が出た直後、コンピュータ将棋で有名な伊藤さんが以下のような記事を書いていました。

http://aleag.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/alphago-21ae.html

コメントでのやり取りで、「クラスタ性能が飽和するというのは(素人考えですが)ちょっと信じがたいのですが… MCTSの性質上、たくさん読むほど強くなるのは自明な気がするんですが、違うのかな?」という発言を頂いていたので、空いたマシンを使ってテストしてみました。

Linux 4コアサーバーでテスト。

・Pachi11.0とLeela0.11.0でテスト。(PachiはDeep Learningを使用しないMCTSフリーソフトの代表格。Leela0.11.0(LeelaZeroではない)はAlphaGoの最初の論文に基づいて作られたソフト。) Leela0.11.0はGPUを使用しない(CPUでDeep Learningを動かす)バージョンを使用。

・Pachiの一局あたりの思考時間を1200秒→2400秒→4800秒→9600秒と増やし、Leelaに対する勝率とレート差を調べる。(並列化でnスレッド使った時の性能は、基本的に思考時間をn倍した時より良くなることはない。) Leelaは一手250プレイアウト。これらの数値は、PachiとLeelaのレート差を計れるように、Pachiが全敗しないように経験から決めた。

・gogui-twogtpを使って自動対局。gogui-twogtpのオプションで、4対局同時進行。手番は一局ごとに入れ替わる(結果の表示は最初の手番に合わせて出る)。

・PachiとLeelaは1コアのみ使用し、PonderingはOff。

なお、AlphaGoそのものが使えないのは当然ですが、ZenやCrazyStoneなどもLinux版が手に入らないので、PachiとLeelaでテストしました。

 

結果は以下の通りです。

1.Pachi(持ち時間1200s)-Leela(一手250po)…勝敗:  80-920 実際の消費時間平均:  821.9s-50.0s
2.Pachi(持ち時間2400s)-Leela(一手250po)…勝敗:157-843 実際の消費時間平均:1844.6s-57.3s
3.Pachi(持ち時間4800s)-Leela(一手250po)…勝敗:220-780 実際の消費時間平均:3833.3s-60.8s
4.Pachi(持ち時間9600s)-Leela(一手250po)…勝敗:274-726 実際の消費時間平均:7764.4s-64.4s

Pachiの、Leela(一手250po)に対するレート差は、
持ち時間1200s、平均消費時間  821.9sで-424.3
持ち時間2400s、平均消費時間1844.6sで-292.0
持ち時間4800s、平均消費時間3833.3sで-219.9
持ち時間9600s、平均消費時間7764.4sで-169.3

棋譜ファイルはDropBoxにUPしておきます。

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レート差の変遷をグラフにしたのが↓です。横軸が実際の消費時間、縦軸がレート差です。

 
明らかにサチってますね。
なお、この実験を行うにあたり、同僚と議論したのですが、「MCTSはプレイアウトが偏っている場合に間違った評価値に収束するかもしれないが、MinMax(AlphaBeta)だとよほど変な評価関数でない限り思考時間を増やせば強くなるのは自明では」などの意見を頂きました。私はこれについても懐疑的ですが、自明な反例も思いついていないので、引き続き考えています。別の同僚は冗談で「無限に思考時間を増やせるなら、MCTSの先端が終局図にたどりついて完全解析できる」とおっしゃっていました。結局「無限」の捉え方の違いですね。

統合失調症から立ち直った話と、どうして統合失調症になってしまったかの考察

(注:以前はGoogleSiteでブログみたいなもの書いてましたが、ネガティブ成分のゴミが増えた上に使い勝手が余りよくなかったので、そちらは捨てることにしました。AlphaGoの記事とかはもしかしたら今でも読みたい人いるのかもしれませんがご容赦ください。データとしてはまだ残っているので、またどこかで再公開できればいいなと思っています。)

私は修士1年の時から10年以上精神科のお世話になっています。病名をはっきり告げられたのは治療を開始してからだいぶ経った頃ですが、統合失調症だったのです。大学の端末室などで奇声を上げることが増えて、同級生に大学保健センターの精神科に連れて行かれました。

実は、丁度今から一年前くらいに病院を変えて、新しい先生の治療により、もう苦しさはほとんど無くなっています。健常者並と言っても差し支えないかもしれません。

新しい先生によると、以前の先生の治療は「時代遅れのダメな治療法」だったらしいのです。主な症状である幻聴は以前の先生の処方でも減っていたのですが、完全には無くなっていませんでした。さらに前職では慢性的な眠気が消えず、勤務状況は本当に酷かったのです。以前の先生は「それは仕方のない症状だ」とおっしゃっていました。アカシジアという向精神薬の副作用についても「気にする必要はない」とのことでした。しかし、新しい先生からは、「あなたは睡眠の質が悪すぎる。幻聴とアカシジアのせいで熟睡できていない。そもそもアカシジアを放置しておくと自殺の危険も高まる。」などの説明を受けました。その日新しく処方された薬を飲んで眠ったところ、翌朝「あ、これはいつもと違う!熟睡できたんだ!」ということが分かり、それ以来新しい先生による治療を続けています。

それから、「朝型」の生活スタイルに変えたり、コンビニ弁当はなるべく避けて野菜も摂れるちょっと高い食事にしたり、ダイエットを兼ねた筋トレを生活に入れたり、毎日の個人的なTODOをツールを使って管理して時間と精神力の無駄を削ったりなどしました。いわゆる世間一般で言われている「良い生活習慣」と言えそうなものを取り入れていったということです。今では朝5:00にばっちり起きて勉強、読書、囲碁などをしてから早めに出社する生活です。野菜を取るとイライラが減少することもわかりました。以前より6~7kg痩せました(まだ標準体重よりは太ってますが)。TODO管理ソフトにより、以前よりは時間をうまく使えていると思います。

そして、病状が良くなっていくにつれ、「ここまで気分がすっきりしたのは何年ぶりかなあ…。あれ、そもそも私はいったいいつから幻聴があったのかな?」ということを考えるようになりました。新しい先生によると私はADHD(発達障害)の可能性が高いらしいですし、色々ネットで検索するとADHDの二次障害として統合失調症になることは珍しくないようでしたが、「私のこの病状も本当に先天的な理由だけなのか?」と考えたのです。そして出た結論は「中学の後半から高校卒業まで毎日10時間くらい勉強していた時に症状が出始め、大学の専門課程で連日端末室に泊まり込んで課題に忙殺されていた時にひどく悪化した。要するに勉強しすぎ(させられすぎ)だった。」というものでした。

私は小中高と塾や学校のテストで(数百人~数千人中)一番を取っていました。ただ、中学の前半までは最低限の勉強だけでしたが、たまに一番になれなかった時に友人たちに煽られるのに過剰反応してしまい、中学後半から毎日10時間くらい勉強しだしたのです。でもそれは、私のように体力のない人間がやるべきことではなかったと今では分かります。長時間勉強→疲労が抜けない→効率落ちる→長時間勉強…のような感じになってしまっていたのでしょう。テストで一番を取れる確率をわずかに上げることにこだわりすぎたために、だんだんおかしくなったのです。中学の友人で今でも付き合いのある人に最近「俺は中学の後半から長時間勉強でおかしくなったのかもしれない。」と考えを明かした所、「確かにお前はその頃から何かおかしかった。」と言われました。そんな効率の悪い人間の癖に、高校、大学と有名校に進学してどんどん忙しさが増していき、統合失調症が悪化してしまったのです。でも、途中で気づくべきだったのです。「同じ学科の人たちは同じ課題をやっているけど、私みたいに死にそうになっていない。むしろ優秀な人は余裕があった。」ということに。私は東大入ってから「周りの奴らは頭良いし要領いいなあ。」と思っていましたが、本来彼らこそがあるべき姿だったのでしょう。私は悪循環が続くうちにいつの間にか長時間勉強そのものが目的になってしまい、どんどん悪化したのだと思います。

とは言え、最初に書いたように今はもう健常者並の生活を遅れてます。一時期は本業のプログラミングもボロボロだったのですが、今の会社の優秀な同僚達の真似をして色々改善できていると思います。今ならわかるのですが、プログラマは「楽をするための努力」をするべきなのです。大学の課題が終わらないなら、どうして終わらないのか考えて、分からなかったら優秀な同級生たちにやり方を聞いて真似してみるなどするべきだったのでしょう。

私は今、平日も休日も毎日がとても楽しいです。しかし、統合失調症の症状が出始めてから今の状態まで回復するのに20年くらいかかりました。友人を失ったこともありました。私と同じように苦しんでいる人がいたら、同じ過ちを繰り返して欲しくないと思い、この記事を書きました。

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