生活の質を改善していくこと

以前このブログの記事で、良い生活習慣を取り入れていった旨を書きましたが、それ以外にも色々発見がありました。それについて少し書いておきます。

最初に断っておきますが、統合失調症になったらまずは薬で症状を抑えるのが最優先です。それが出来た後に私がどのように生活の質を改善できたかということを以下に書きます。

良い医者の先生に巡り合えてスッキリした毎日を送れるようになってから、私はまず「本を読みたい」と思いました。それから、色々な本屋、古本屋をぶらぶらして、かなり技術書や棋書や小説、自己啓発書などを買ってカフェで読んでました。そういうことをしている内に気づいたのが、私のそれまでの読書方法が間違っていたということでした。

以前の私は、本は頭から最後まで、あとがきなども含めて全ての文を目で追わなければならないと考えていました。でも、そういう読み方は小説などでは良いかもしれませんが、少なくとも技術書や棋書に関してはあまりいい読み方ではなかったようだと気づいたのです。「遅読家のための読書術」「エンジニアの知的生産術」などを読んで私が出した結論は、「全ての文に目を通して疲労でふらふらになって、その後復習できないまま過ごすよりも、目次を見て必要な所をパラパラ見ることを何度も繰り返した方が、知識が定着する。また、専門書に関しては目で追うだけでなくメモを取りながら読んだ方が読書が『楽に』なるし、輪読の発表資料も作りやすくなる。」ということでした。さらに、「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」という本を読んで確信したのですが、全部に目を通す場合でも、「一回じっくり読む」よりは「高速で何回も読む」方が知識が定着するらしいということもわかってきました。

また、一応東大卒の人間がこんな年齢になってこんなことを言うと笑われるかもしれませんが、勉強というのは「暗記」しないと意味が無いということにも気づきました。私は昔から暗記が苦手で、数学などは最低限の知識だけで解いていましたが、たとえ受験であっても、本当はひたすら暗記するが一番効率が良かったのかもしれません。「受験数学は暗記か、暗記でないか」という議論は時々見かけますが、「問題の解法とその背景も全て理解し、理解の過程も含めて暗記する」のが一番効率が良かったのかもなと私は気づいたのです。

また、以前からiPadを使っていたのですが、iPadのアプリなどで論文に色をつけながら読むようにしてみたところ、忘れた頃にその論文を読み直すのが楽になりました。修士の頃居た研究室の優秀な人で、紙の論文に蛍光ペンで色を塗りながら論文読んでいた人がいたのですが、実は理にかなったやり方だったのかもしれません。

また「超高速暗記術」という本にあった「まずは覚えないといけない量を減らす」という考え方も私にとってはショッキングでした。以前の私は単語帳などは「全部覚えないといけない」と思い込んでいたからです。

他に、業務関係では、プログラムの単体テストを自動化すると良いことも学びました。また、emacsではない最近のエディタも使うようになりました。

実は、以前の私は上記の勉強法や業務の単体テストについて、「こういうのはやるべきことなんだろうけど、今の私にはその余力が無い。周りの人は優秀だからそういうことする余裕があるだけ。」と思っていました。でも違ったんです。勉強法や単体テストの自動化は『楽をする』ための方法論だったのです。「勉強法を取り入れ」たり、「単体テストを自動化し」たり、「最新のエディタを活用し」たりしているからこそ、「業務が楽になり、凄いパフォーマンスを出せる」のだと気づいたのです。凄い人たちは、こうやって自分のパフォーマンスの改善を続けた上で努力しているようだと気づいたのです。単にむやみに時間をかけたり根性で何とかしようとするのは努力とは呼べないのです。ツイッターで見ましたが、ある「一流」と呼んで差し支えないと思われる人が、「努力は根性でするものではない」と言っていた意味がようやく理解できました。必要なのは「方法論」と「それを習慣づけること」だったのです。

他にも書きたいことはあるのですが、今回は一旦ここまでにしておきます。